Affinity の話はもういいやと思っていましたがちょっとだけ愚痴っておきます。バージョン2になってセパレータモード(分離モード)がなくなり、大人のMacユーザーと決別したという話です。
AFFINITY
脱 Adobe のヒーロー Affinity ソフトウェアでしたが、進化の歩みは鈍く、長い間 UI の不出来も改善なく(途中、明るいグレーの快挙がありましたが)放置状態でした。放置状態にはメリットもあって、発売当初のOS要件がずっと生きていて古いOSでも起動できていました。Mavericks でも起動できますよ。そのおかげもあって、すっかり日常的に使うソフトウェアへと、地位を向上させていました。単純な作業を軽く済ませるには最適な良いアプリです。
UI デザイン
進化しない最大の部分はいけ好かない UI でした。
この画像では良い感じに見えるかもしれませんが、ツールパレットが画面に張り付き(影がないのよ)、背後に別のウインドウがあれば目視で区別することすら困難です。パレットを移動しようとするとすぐにバラバラになるし、全体的に未完成感が強いです。
ウインドウサイズに「最適化」が存在せず、めちゃ小さいサイズか、そうでなければ下品に最大化してしまうというのも最悪挙動の一つ。
ツールバーの下にウインドウが潜り込む癖なんかはまったく直る気配がなく、ウインドウを動かすためには先にツールバーを動かしておかねばなりません。もちろん、セーブする際にも動かしておかないとダイアログで名前入力できませんよ。
こういうのは一例ですが、使っていて UI の悪さには結構うんざりなことが多いんです。それでもきっと未来があるさと、我慢していました。
日本語
日本語に関してはどうにもならない状態が長く続き、普通のウェブページやメモ帳やそこいらの野良ジョークアプリにも劣る代物でした。ようやくバージョン1の末期頃に最低限の禁則処理だけ搭載されましたが、未だに縦書きも出来ず、できないどころか縦書きされたPDFをまともに開くこともできないという有様。高度な組版処理など夢のまた夢、遠すぎて目に映らないレベルでした。
バージョン1を長年かかって温めてきたので、満を期してバージョンが2に上るときには、少なくとも Pages 程度のレベルには達して欲しいものだと思っていましたが、結果はズッコケでしたね。
日本以外に縦書きや組版が必要な国があるのかどうか知りませんが、もし中国はじめアジアの国で不要なのであれば、日本語仕様は諦めるしかありません。日本は衰退すさまじく、商圏として成り立つのかどうかも怪しい末期転落腐敗極貧国つまり相手にするだけ無駄な劣等国になっていますので、日本仕様への期待なんか持ってはいけないような気もします。
バージョン2
で、バージョン2ですが、これまで散々1を引っ張ってきたのだから、さぞかし大きく進化したのだろうと思ったらがっかりで。日本語の恩恵が何もないのは、これは国を堕落させた我々有権者の自業自得でもあるから仕方ないとして、最も劣悪なことがひとつありました。
セパレートモードなくなった
知らなかったんですが、セパレートモードがなくなって、アプリケーションフレーム内でしか作業出来なくなったようです。まるでWindows の弥生会計やがな。これはあまりにも予想外のひどさで椅子からずり落ちました。
もともとセパレートモードの挙動は怪しかったし、ファイル間のドラッグドロップができないという致命的な欠陥もありました。それらを直してくるかと思いきや、全て放棄して何もできなくしてしまったという、論外の方針になりました。
フォーラムを見ると、ユーザーの中にもセパレートモードを返せという声はいくつもあり、皆、半ば怒っています。穏やかに「セパレート機能希望」とか言うんじゃなくて「なぜなくした」「戻せ」といった印象です。そりゃあ当然そうなります。
内心、そうは言ってもそのうち戻してくるでしょと思っていました。しかし、フォーラムで次のような悪意を見せつけられ、見切りを付けるきっかけとなったのです。
セパレートモードを欲するユーザーに対して、フォーラムの担当者は言い放ちました。
Affinity V2 アプリには、macOS の分離モードがありません。何らかの理由でこの特定の機能が必要な場合は、引き続き Affinity V1 アプリを使用してください。
https://forum.affinity.serif.com/index.php?/topic/168169-where-can-i-find-separated-mode-in-affinity-v2-apps-on-macos/
セパレートモードを「特定の機能」とか放言している時点でアウトでしょうよ。
世代ギャップ
さて冷静に、近年のAppleのデザイン力のなさを思い浮かべましょう。もしかすると、Affinity が採用したこの90年代のWindowsアプリのような方向性は、Appleの現在の方向性と近しいのかもしれません。Appleも例えば最適化を放棄して下品な最大化を推し進めたり、弥生会計のような画面デザインを採用し始めています。由々しき事態だと感じているのは、多分古くからのMacユーザーだけなのかもしれません。
macのiOS化(あるいは90年代Windows化)の被害はじわりじわりとやってきています。ファイルを複数開いて縦横無尽に行き来するような高効率な作業を行っているのは最早老人ばかりであるというのが現実でしょうか。
そんなこんなで、フォーラムでもセパレータモードの件で嘆いたり怒ったりしているのは古くからMacで仕事しまくってきたデザイナーや大人たちです。彼ら私らは、コンピュータ黎明期から進化の過程と共にいました。ある地点以降、進化から変化へ、すなわち劣化・退化を含む商的変化の時代に入ったことを体感で知っており、結構残念に思っています。